カテゴリー「書籍・雑誌」の1件の記事

2016年12月15日 (木)

『香薬師像の右手』感想とまとめ

貴田正子『香薬師像の右手 失われたみほとけの行方』を読みました。なかなか奥深いミステリーなので、自分の理解のためにまとめつつ、感想を書きました。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


新薬師寺の香薬師如来像は三度の盗難に遭い、もう70年余り行方知らずだ。最近、この像の右手首から先だけが発見され、その経緯をまとめたのがこの本である。

綿密で地道な取材ぶりに頭が下がる。

しかし、右手が見つかった経緯だけを手っ取り早く知ろうとして読むと、少しつらい。枝葉末節があちらこちらに太く広がっている。どれも感動的な話だ。しかし、右手をめぐる謎解きは複雑でわかりにくい。

しかも、右手は"発見"されたとはいえ、”大人の事情"はオブラートに包まれたまま。最後の肝け心なところで、修験者である著者の夫の自慢話が出てきて、煙に巻かれた感が否めない。前半の香薬師像の由緒に関わる部分が感動的なのだけに残念だ。


少し愚痴ってしまった...。しかし、落ち着いて考えると、知る人ぞ知る存在だった右手があやうく記憶の闇に消え去る寸前、著者が光を当ててくれたと言えるだろう! 


そんな香薬師像の由緒とこれまでの経緯を著書から拾い出し、以下のとおり、まとめてみた。(読解力不足で間違いがあったら、ご指摘ください。訂正します)

※写真は2枚とも、この本に掲載のものです。

***********************************************

1481803366628.jpg


香薬師像の由緒


新薬師寺の寺伝によると、白鳳を代表する香薬師像は、光明皇后の念持仏だった。聖武天皇の病気平癒を願った光明皇后が、天平19年(西暦747年)、新薬師寺を創建。丈六七仏薬師が横一列に並ぶ巨大な金堂の中尊に胎内仏として、香薬師像がおさめられたと伝わる。つまり、香薬師像は現在のご本尊の薬師坐像(平安初期)よりも古く、新薬師寺の根幹をなす大変重要な仏様であることが推察できる。

創建からわずか33年後の宝亀11年(780年)、新薬師寺の巨大伽藍が雷による火災で消失してしまう。木造の七仏薬師も焼けてしまうのだが、銅像の香薬師像だけは胎内から救い出され、それ以来、新薬師寺で大切にお守りされてきた。しかし…。


*********************************************************


三度の盗難

明治23年=1回目の盗難


ずっと時代が下った明治23年。香薬師像が盗まれてしまう。このときは、ほどなく近くの神社で発見される。右手首から先が切り離された状態で打ち捨てられていたそうだ。右手をつなぐ修理が行われ、お像は再び新薬師寺に安置される。

明治44年=2回目の盗難

ところが、明治44年、香薬師像は再び窃盗犯の手に落ちてしまう。右手と両足が切断された痛ましいお姿ではあったが、大阪・住吉の田畑で発見された。右手は再度、お像に接続され、見つからなかった両足は木製のものを作って補われた。


昭和17年、竹林薫風と水島弘一がそれぞれ、お像を石膏で型取りする。この頃までに右手は古傷のためか脱落していたようで、三度目の盗難の前に右手だけが盗まれることがあったため、水島が銅で右手と両足を補作し、お像本体に取りつけた。盗まれた右手は近くに捨てられているのが見つかり、その後、お寺で保管されていたらしい。

昭和18年=3回目の盗難

昭和18年、香薬師像が三度目の盗難に遭う。肝心なのは、このとき、元々の右手部分は盗まれず、寺に残されたという点だ。しかも、現在の新薬師寺住職にはその事実が伝えられていなかった。香薬師像は今も見つかっていない。

************************************************************


1481803367301.jpg

右手の行方


昭和25年?=右手が佐佐木家へ

昭和25年、文芸春秋の佐佐木茂策が、水島の型取りした石膏を使って、香薬師のコピー像3体を自費制作。新たに鋳造された1体は新薬師寺に、1体は奈良の観音院に譲り、1体は自らの手元に置いて、亡き妻、佐佐木ふさの供養とした。

どうやら、この際に、右手が佐佐木に渡ったらしいのだか、その辺りは明らかになっていない。

佐佐木は右手の土台を作り、丁寧に木箱におさめて保管していた。右手の価値を理解し、かつ財力のある人でなければできないことだと私は思う。


昭和37年=久野・水野両氏が右手を目撃

昭和37年2月、佐佐木家に仏像調査に訪れた久野健と水野敬三郎が、佐佐木の後妻から右手を見せてもらう。この時に水野が撮影した写真が最近になって、右手の身元確認に大きな役割を果たすことになるのだが、右手の存在はこの後、口外されることなく、50年余りの年月が過ぎ去ってしまう。

平成12年=右手が佐佐木家から東慶寺へ
平成27年=右手が東慶寺から新薬師寺へ

平成27年5月、著者と新薬師寺住職が鎌倉市の東慶寺を訪れ、右手が保管されていることを確認。平成12年、佐佐木茂策の墓のある東慶寺に遺族が預けたのだという。あくまでも東慶寺は預かっているだけで、所有者は佐佐木家なので、東慶寺は佐佐木家の間で念書を交わすことを希望。27年10月になって、遂に右手が新薬師寺にお戻りになった。


************************************************************


以上、簡単にまとめたつもりだが、なかなかややこしい。香薬師像とその右手が複雑な歴史をたどったことがわかる。

なお、佐佐木茂策が大切にした香薬師コピー像は現在、東慶寺に譲渡されており、私も東慶寺で拝したことがある。観音院に渡ったコピー像は三共製薬会長を経て、今は奈良国立博物館に。数年前の『白鳳』展で拝んだ方も多いだろう。


最後に、いまだ解けない謎―――香薬師如来さまは今どこにおられるのだろう? この疑問を宇宙の闇に投げかけ、そっと溜息をつく。


| | コメント (0) | トラックバック (0)