カテゴリー「旅行・地域」の11件の記事

2017年1月29日 (日)

光恩寺阿弥陀さまへは赤岩の渡し船で! 川を渡ると極楽浄土です!

光恩寺さままでの行き方があまりに素晴らしすぎたので、ご紹介します。

「わたし」ってご存じですか?  川の両岸をつなぐ「渡し船」のことです。つまり、橋がなかなか架けられなかった昔の交通手段です。

光恩寺さまのすぐそばを流れる利根川でも、古くから渡しは行われており、上杉謙信の文献に記述があるそうです。江戸時代の水運の発達とともに渡し船は栄えましたが、近代に入り橋が普及すると衰退しました。

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ですが、光恩寺さまから徒歩数分のところに、「赤岩の渡し」が残っているのです。しかも、乗船場所まで、熊谷駅からバスが一時間に一本程度出ています。今回、光恩寺さまのお参りを計画するまで、現役の渡しがあるとは知りませんでした。Googleマップには乗船場所の記載があるものの、ルート検索には出てきません(2017年1月現在)。

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赤岩の渡しは”県道”の一部として、群馬県千代田町が管理運営を行っています。県道という扱いのため、無料で通行できます。

旅人にとっては楽しすぎる乗り物なのですが、生活する人には少し面倒なのでしょう。利用者は少ないようです。少し遠回りすれば近くに橋があり、車で簡単に往来ができます。

私が行ったときも、利用者は私一人のみ。船の運転手とサポートの男性も手持ち無沙汰な感じでした。もっと観光資源に活用できるとよいのかなと思います!

私が乗船したとき、青空のもと、冬の澄んだ空気が川面に反射し、このうえなく気持ち良かったです。

さらに、古寺巡礼者の私には、此岸と彼岸を結ぶ「渡し」に感じられました! 光恩寺さまへの巡礼手段として、こんなに素晴らしいものはないのではないでしょうか!?

【移動方法のまとめ】

1)  熊谷駅前から葛和田行きのバスに乗り、終点の葛和田で下車。30分程で到着します。

2) バス停の横に小屋があり、その前にこんな黄色い旗があります。
   
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3) この黄色い旗を校旗掲揚みたいな感じでスルスルと上げます。


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4) すると、群馬県側に待機している渡し船がこちら側に迎えに来てくれます。(群馬県の運営なので、船は基本的に群馬県側で待機しています)
これから拝観する阿弥陀さまが彼岸からお迎えに来てくださるようにしか思えませんw

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5) 乗船して川を渡ります。利根川は深くて広い!

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6) 乗船時間はわずか数分。左岸に到着すると、光恩寺さままで徒歩ですぐです。



光恩寺の阿弥陀さま!

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お参りを終えて、再び船に乗り込むと、船は西日に向かって滑り出しました。阿弥陀三尊を拝観した直後にこんな経験をしたら、もう、西方浄土に向かうようにしか思えなくなります! (行きも帰りも向かう先は阿弥陀さまの極楽浄土ということになりますね…!)

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いろいろな意味で楽しい船の旅。阿弥陀さま拝観にはぜひとも赤岩の渡しで!!!



※赤岩の渡しについては→千代田町サイト(赤岩渡船)

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2016年4月18日 (月)

美作誕生寺の二十五菩薩練供養(来迎会)

日本三大練供養の一つ、岡山県、美作誕生寺の二十五菩薩練供養に行ってきました。

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二十五菩薩練供養とは、阿弥陀如来が二十五菩薩を従えて臨終者を来迎するさまを演じるものです。人が菩薩さまに扮装し、いわゆる「お迎え」の場面を見せてくれるのです。
もともと練供養は、平安時代、浄土信仰の高まりとともに教化のために始められたそうです。その頃は来迎会(らいごうえ)と呼ばれていたのですが、江戸時代に庶民の間に広まるにつれ娯楽性が加味され、練供養と呼ばれるようになったそうです。今では、この二つの呼び名がどちらも使われているようです。

最も有名なのが、中将姫で有名な奈良県當麻寺の練供養で、1000年以上も絶えることなく続けられています。當麻寺と岡山県瀬戸内市の弘法寺(ぐほうじ)の練供養とあわせて、三大練供養とよばれています。どちらも年に一回、春の決まった日に行われています。

三つともに拝見しましたが、それぞれ歴史もやり方も違います。どれもすばらしいです。

誕生寺では、練供養の行列は重文の本堂(御影堂)を出発し、境内を出て参道を歩きます。300メートル離れた娑婆堂(地蔵堂)まで行き、そこで臨終者をお迎えして、また本堂に戻ってくるというルートです。

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ここ誕生寺の一番の特徴は、来迎される対象(臨終者)かと思います。當麻寺と弘法寺では、中将姫が阿弥陀さまに来迎されるのに対し、誕生寺では、浄土宗開祖、法然上人のご両親が毎年交代で来迎されます。今年はお母様が来迎されました。

誕生寺は法然上人ご生誕の地に立つ古刹で、法然二十五霊場の第一番札所でもあります。来迎者が法然上人のご両親というのは、このお寺にふさわしく、感動します。

誕生寺の練供養はもっと地味かと思っていたのですが、華やかでした。まず、菩薩さまのお面が小顔サイズで、着物もおしゃれです。安室奈美恵ちゃんが菩薩さまになったら、さぞかし素敵だろうと一瞬頭をよぎったほどです。特に、先頭を歩く地蔵菩薩さまは赤い帽子に赤いお召し物がとてもかわいらしかったので、私が作ったコラージュ写真でご確認くださいw 浄土宗の他の寺院からの応援もかなり手厚いようで、参列する僧侶の数も多かったです。

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臨終のとき阿弥陀さまが雲に乗ってお迎えに来てくださる。そう信じるための手段が練供養なのだと思います。そして、そう信じることで、日々を強く生きていけるのだと私は思います。

晴天の下、尊敬する法然上人ゆかりのお寺で来迎会を参拝できたことに感謝します。

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2013年12月20日 (金)

神武寺(神奈川県逗子)薬師堂~すす払い特別拝観

参拝日: 2013年12月13日(午前中のすす払い特別拝観)
拝観した仏さま:
 神武寺(じんむじ)
 薬師堂=薬師堂の秘仏薬師三尊、朽ちた仏様(十一面観音と釈迦如来像らしい)、十二神将、四天王、地蔵菩薩坐像、三猿像、行基坐像、びんづる様
 本堂=来迎阿弥陀三尊立像、十一面観音坐像
 みろくやぐら=弥勒菩薩坐像(石仏)
 大木の根っこの六地蔵(石仏)など

 

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 神武寺薬師堂の薬師三尊は33年に一度ご開帳される秘仏(次回は2017年)だが、毎年12月13日の午前中に行われる「すす払い」の間に拝観できる。
 山の中にある境内を訪ねてみると、行基創建と伝えられる古刹らしさが漂う清浄な空間だった。仏像や古刹が好きな方にお勧めしたい。
 今回の訪問にあたり情報がなかなか見当たらなかったので、がんばって参拝記録を書いてみた。

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(1) 表参道を通って神武寺まで
 神武寺はJR東逗子駅または京急神武寺駅から徒歩30分ほど。JR東逗子駅からの道が表参道、京急駅からが裏参道となっているため、JR駅から歩いてみることにした。駅を出て大通りを進むと神武寺参道の入口に大きな石の案内がある。ここから山道をまっすぐ登ればいいだけなので、迷うことはない。なかなか本格的な山道。

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(2) 薬師堂ご開帳
 薬師堂に到着したのは午前10時50分頃。まだ法要が続けられていた。薬師堂の真ん中で僧侶の方が読経しておられ、その周りに参拝者の方々が座っていた。堂内作り付けの厨子は開かれていたが、座った状態からでは秘仏薬師三尊のお姿はよく見えない。
 しばらくすると法要が終わり、参拝者一人一人が順に薬師さまの前まで進んで拝観できるようになった。「すす払い」特別拝観の時間は「9時から正午まで」となっているが、法要は9時からずっと続けられていたのかどうか定かではない。ただ、法要中は秘仏薬師三尊のお姿がよく見えないので、法要終了間際の時間に到着できてよかったと思った。
 薬師三尊は室町時代作の逗子市指定文化財で、如来さまが69.8センチ、日光月光両菩薩さまが立像でそれぞれ58センチ、59.5センチという大きさ。薬師さまは優しく微笑んでおられる。髪型が編み込みのように彫られており、金沢文庫の院派の釈迦如来立像を思い出した。日光菩薩さまのお茶目な瞳に惹かれた。
 三尊をまつる厨子の奥には、二体の朽ちた木製の仏様も。行基作とされる十一面観音さまと釈迦如来さまだという(注1)。また、この厨子自体も立派で、きれいな色彩が残っており、見ごたえがある。
 三尊の前には四天王さま。おそらく50~60センチほどの小像ながら、色彩もきれいで迫力もあり、見ごたえがある。
 厨子の左右には十二神将さま。12体おそろいで、玉眼を光らせている。
 左側にきれいな木造の行基菩薩坐像。その前の小さなお厨子にやはり小さな地蔵菩薩坐像。厨子の前に、歴史を感じさせる愛らしい三猿像。木造の三猿は珍しいのでは。

 これだけ素晴らしいと普段の開扉状況が気になる。係の方にお聞きした限りでは、普段は薬師堂の扉自体が閉められているとのこと。1月8日の初薬師のときに、薬師堂の扉は開くが、堂内のご本尊の厨子が開くのは12月13日の午前中と33年に一度のご開帳のときだけだそう。

(3) 本堂
 本堂に入ると、中央奥の正面に阿弥陀三尊。三尊とも立ったお姿。たぶん60センチくらいと思われる小さな像が本堂奥の高いところにまつられていて、肉眼では見えにくい。双眼鏡でのぞくと優しく微笑んだ阿弥陀さまのお顔が見えた。向かって左に蓮華座を手にした観音さま、右に合掌した勢至菩薩さま(普通と逆の配置ですね)。めっちゃ好みの来迎阿弥陀三尊であられた。この三尊にお会いするだけでも再訪したいくらいだ。阿弥陀三尊の右の厨子の中に十一面観音坐像。

(4) みろくやぐら
 神武寺は山の中にあって境内の配置が複雑で分かりにくい。「みろくやぐら」にいらっしゃる石仏弥勒菩薩さまにお会いしたかったのだが、その場所がまったく検討がつかなかった。係の方にお尋ねしたところ、ご丁寧にやぐらまでご案内いただき、事なきを得た。その場所は、神武寺の墓地の中にあった。
 逗子市の重要文化財サイトによると、このやぐらは、「鶴岡八幡宮舞楽士 中原光 氏の墳墓窟」であり、「墳葬者の俗名を知ることのできた唯一のやぐら」なのだそうだ。
 やぐらの中の石仏の弥勒さまには、一度破損したものが再度接着された形跡が残っていた。鎌倉時代の作のわりに汚れや白カビがなく、きれいなのは、おそらく水洗いかなにか、定期的に清掃しているからだろうか。おりしも、近くのお墓をお参りに来ていらした男性がお墓をきれいにしているところだった。このやぐらと石像もご先祖様のお墓と同じように大切にされているのだろう。信仰の深さを感じて、石像の写真を撮ることをためらった。
 なお、「左右の壁に掘られた穴のなかに安置された石塔(無縫塔)は、近世以降の神武寺歴代住職の墓塔」(同サイト)とのこと。

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(5) 裏参道から京急神武寺駅へ
 帰りは裏参道を行くことにした。この裏参道は表参道以上に本格的な山道である。苔むした細い道に枯葉が落ちている状態なので、雨の日はつらいかもしれない。

(6) あわせて参拝したい仏さま

P1080574 (東昌寺 丈六阿弥陀さま)

 京急神武寺駅のそばに東昌寺があり、丈六の阿弥陀如来坐像がいらっしゃる。事前にお電話して訪れたところ、阿弥陀堂の扉を開けてくださった。逗子市サイトによると、阿弥陀さまの像高が259.5センチ、台座の高さ103.5センチ。もとは運慶作と伝えられる阿弥陀如来坐像があったようだが、1727年に火災で焼失。1756年に再興。有力な鎌倉仏師、三橋家が造立したことが分かっているとのこと。
 その後、京急新逗子駅そばの宗泰寺の木造十王および奪衣婆坐像を拝観したいと思って足を運んだが、「毎年8月に開帳しているので、そのときにまた来てください」とインターホン越しに言われてしまった。逗子市の文化財サイトに写真がある。
 また、今回は訪問できなかったが、東逗子駅近くの海宝院と光照寺に逗子の文化財になっている仏像がいらっしゃるので、朝早くにこちらを参拝してから神武寺に向かうというのもありかと思った。もしまた神武寺ご開帳時にお参りできることがあれば、実際に拝観できるのかどうかを確認したい。
 さらに、JR逗子駅から徒歩15分の場所に、坂東観音の札所、岩殿寺がある。長い階段があるそうなので、神武寺とのダブルヘッダーは体力次第か。この日はとても風が強かったこともあり、別の機会に参拝することにした。

注※1 別冊太陽『太陽の地図帳018 日本の秘仏を旅する』(平凡社、2013年)より

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2013年11月 7日 (木)

十二神将さまはユーモラスさが魅力?

Photo 武蔵国分寺(ご開帳は毎年10月10日)

 今年9月に興福寺仏頭展(東京芸大美術館で開催)を鑑賞して以来、十二神将さまを12躯フルセットで拝する機会が続いている。

 ラインナップは次のとおり。
(1) 興福寺国宝館 板彫り十二神将
(2) 興福寺東金堂 鎌倉時代の十二神将
(3) 山梨大善寺本堂 十二神将(鎌倉時代の作だが、武田信玄当時の赤い塗りが残ってかっこいい)

Photo_2大善寺十二神将の一部(お寺でいただいたリーフレットより)

(4) 武蔵国分寺 江戸時代の十二神将(平安時代の薬師如来に従う)
(5) 大月市郷土資料館 地元の人々に守られてきた大月市宝鏡寺の十二神将
(6) 山梨県立博物館特別展 瑜伽寺の十二神将(鎌倉時代前期)
[後日追記
(7) 神奈川県逗子市 神武寺薬師堂の十二神将 2013.12.13
(8) 神奈川県川崎市 影向寺の十二神将 2014.1.1
(9) 神奈川県伊勢原市 日向薬師の十二神将(等身大・鎌倉・国重文と小さ目・平安・市重文)2014.1.8]

 これらを拝観する中で感じたことがある。それは、十二神将さまの醍醐味はどこかユーモラスな部分にあるのではないかということ。
 力強い戦いの神であるのに、12人もいれば必ずお一人はユーモラスな表情の方がおられたりするものだ。その極めつけが大善寺の因達羅大将! 筋肉隆々の腕をさらけ出して身体をくねらせ、仰天ものの表情でこちらを向いていらっしゃる(手元に写真がないのが残念)。
 山梨県立博物館で拝した瑜伽(ゆか)寺の十二神将さまたちは、一体一体がユニークで、お顔もお体も明るい表情。仏師の笑い声が聞こえてきそうな気がするほどだ。

 大善寺さんでは、大きな本堂の内部に、等身大の十二神将が横一列に並んでいる。等身大の十二神将がフルセット、横一列というのは、本当にありがたいとしか言いようがない。

 大月市の小さな展示ケースの中には、江戸時代の頃に廃寺になって以来、地元の方々が守り続けてきた十二神将さまたちがいらした。地元の皆様にただただ敬意を申し上げたい。

 興福寺の十二神将では、私は前から板彫り十二神将の大ファン。板彫りなのに、あれほど表現力豊かなのはなぜだろう。国宝館を訪れるたびにじっくり見入ってしまい、うきうきした気持ちになる。それにしても、興福寺仏頭展は白鳳の仏頭がメインの展覧会であるが、十二神将2セットを存分に拝観できるグッドチャンスでもあった。特に、東金堂の十二神将は各像を360度からぐるっと回って拝観できる展示になっているのがうれしかった。

 そして、私は今、日向薬師の等身大の十二神将さまたちにお会いしたくてたまらない。お正月のご開帳に訪れることができるだろうか。

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2011年5月 6日 (金)

白洲正子展おまけ: 「私って正子並の目利き?」と勘違いさせてくださった十一面観音立像

 2008年8月に、東京国立博物館の本館で、ものすごく古くて、ものすごく心ひかれる十一面観音さまに出会った。写真撮影OKだったので、迷うことなく撮影し、ときどき眺めている。
 それが、このおかた。

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 この観音さまが今、世田谷美術館の「白洲正子 神と仏、自然への祈り」展に出展されている。白洲正子の著作に登場する仏様だったのである!

 自分が白洲正子並の「審美眼」を持つことが証明されたようで、なんだかうれしい。(大いなる勘違い?)

 展覧会のポスターにも掲載されているし、展示会場では、会場入ってすぐの目立つ場所に置かれていた。しかも、ものすごい数の人にのぞき込まれていた! 東博とは大違いだ。
 私の好きな仏像さんが多くの人に囲まれているのは、とってもうれしい。(これはホント)

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2011年5月 4日 (水)

「白洲正子」展 自然崇拝と神仏習合はうつくしい!

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訪れた展覧会: 「白洲正子 神と仏、自然への祈り」展
         (生誕100年特別展 世田谷美術館開館25周年記念)展
   開催期間: 2011年3月19日~5月8日世田谷美術館
   開催場所: 世田谷美術館
訪れた日: 2011年5月4日

展覧会概要: この展覧会は、白洲正子が「旅先で出会った神や仏、自然を彼女の著作と関連づけながら紹介していくもの」で、「多くの国宝や重要文化財、秘仏が世田谷美術館に集結することが大きな特徴」(世田谷美術館のウェブサイトより)。白洲正子は伯爵家に生まれ、実業家の白洲次郎と結婚。神仏めぐる旅を続け、数多くの随筆を残した。

展覧会の感想: この展覧会の一番の感想は・・・
     「自然信仰と神仏習合はうつくしい」
ということ。

 私が海外の美術や信仰よりも、日本の古い仏像や信仰に魅せられるのは、自然信仰の底に感じる「謙虚さ」と神仏習合に見られる「おおらかさ」が「うつくしい!」と思えるからだ。
 欧米では、自然崇拝や多神教は「pagan」という侮蔑的な言葉で呼ばれるとも聞く。一神教のキリスト教に対し、原始的で未熟な考え方だと捉えられているようだ。
 しかし、どうだろう。私は山や滝や樹木に神仏を感じるとき、とても謙虚な気持ちになる。「一切悉有仏性」という言葉にふれるとき、自分も周りの人も草も物もすべてがいとおしいと感じる。
(・・・考えも表現もつたないことに気づきつつ、さらに書き進める)。

 自然信仰と神仏習合がいかにうつくしいか。
 そして、それは、テクノロジー礼賛(しかし、それはときに大きなしっぺ返しを私たちに与える。原発事故のように)と、
 
イスラム教やキリスト教の「文明対立」の時代において、
 いかに私たちの支えとなる思想であるか。

 心の奥や肌で感じるこのことを世界の皆様にお伝えしたい。

 しかし、その“すべ”が、私にはない。日本語力も英語力も足りない。

 そんなことを考えることになった展覧会だった。

 冒頭で正子について短く紹介したが、実は、私は彼女についてほとんど無知である。著作も読んだことがない。「目利き」だとか「優れた審美眼」とか賞賛されていることは仏像好きなので承知していた。しかし、神仏をめぐる旅にしても、アンティーク収集にしても、“いいとこのお嬢さんの道楽”ぐらいに思って、著作を開くことさえしてこなかった。
 しかし、今回の展覧会では、一つ一つの仏像に魅せられる以上に、正子が指摘した日本人の精神性、古来の心のあり方というものに魅せられたように思う。
 そして、この素晴らしさをもっと多くの日本人に、そして世界の人に伝えることが大切なのではないかと思った。

 私たちには廃仏毀釈という悲しい歴史がある。明治初期に行われたその裏に、近代国家の成立という大義名分の裏に、paganへの侮蔑という意識があったのではないかと私は疑っている。

 そうした過ちを繰り返さないためにも、
 日本人や世界の人の今日の悲しみを癒すためにも、
 私たちが古来受け継いできた「自然と一体となった神仏への祈り」が大切なのではないだろうか。

※ 以上、帰宅後、福島原発とビンラデンのニュースを見て日常に戻る前に、書き終えた。後日読むときのために――5月4日現在、福島第一原発は冷温停止ならず(テクノロジーとそれへの過信)。5月2日(日本時間)、オサマ・ビンラデンがパキスタンの潜伏先で米軍の攻撃を受け、死亡(文明の対立)。

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2010年11月20日 (土)

東京都府中市の阿弥陀如来像@善明寺&上染屋不動堂(+大国魂神社宝物殿)

訪れた日: 2010年11月3日
お会いした仏さま: 善明寺の鉄造の阿弥陀如来像(重要文化財)
              上染屋不動堂の銅造の阿弥陀如来立像(重要文化財)
              おまけ=大国魂神社宝物殿の「運慶」狛犬(重要文化財)他

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 東京文化財ウィークの11月3日。毎年忙しいこの時期に、都内各所で年に一度の秘仏公開が行われている。しかも、今年はアメリカの中間選挙とかぶり、アメリカ政治ニュース好きでもある私は、少しだけ困った。結局、午前中はCNNの選挙速報を見ることにした。こういうのは録画ではダメなのだ。「カリフォルニア州でHPの元CEOが負け、民主党が上院の過半数を死守する模様」というニュースが流れたところで家を出て、府中に向かった。

 府中を選んだのは、交通の便がよくて午後からの外出でも間に合うと思われたのと、さらに、9月に日野市百草の阿弥陀さまのご開帳の際に、専門家の方から府中の阿弥陀さまの噂を聞いたからだ。

 まずは府中本町駅近くの善明寺へ。鉄造の仏さまにお会いするのは初めてだが、ぷっくりしてかわいらしい! 心がぽかぽか温かくなる阿弥陀さまである。胎内仏とされる阿弥陀如来立像と並んでお堂の奥にいらっしゃった。善明寺の境内は狭いが、古い石仏さまもいらっしゃって、とても気持ちのよい空間だった。

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 一方、上染屋不動堂の銅造の阿弥陀如来立像は、新田義貞が鎌倉攻めの際、上州の八幡八幡(やわたはちまん)神社から持ってきたものだという。分倍河原の合戦で勝利した記念にこの地におまつりしたのだという。善光寺式阿弥陀三尊の本尊だったと考えられるが、残りの脇侍の行方は現在知れないとのこと。確かに、左手の印がチョキ(刀印)の形で、善光寺式の特徴を有している。観音、勢至さまにもお会いしたかった。
 上染屋地区は元々、少し南に下りた多摩川沿いにあった集落で、大きな洪水被害の後、現在の場所に移ってきたのだという。阿弥陀さまの歴史と同様、人々の歴史に思いする。
 さらに、馴染みのある分倍河原や多摩川という地名と、昨年訪れた長野の善光寺の思い出が交錯する。
不思議な感覚だった。 *この阿弥陀さまは写真OKとのこと、ありがたく撮影させていただいた。

 おまけ: 大国魂神社の宝物殿に立ち寄り、運慶作と伝わる木造の一対の狛犬像(重要文化財)や、平安期のものと思われる優しい小さな仏像さんにお会いした。「伝・運慶作」って、思いのほか多いのかも。そういう伝承を調べるのも楽しいだろうと思う。「伝・運慶作」リストを作ったら、何年か後に、真作が含まれている可能性も高いのかもしれない。

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2010年11月19日 (金)

いらっしゃいませ 謎の真慈悲寺「仏ゾーン」へ=東京都日野市の重文・阿弥陀如来像と百草観音堂

[追記] 2013年9月15日、再度参拝。台風の影響で朝から大雨となり、八幡神社の露天やさまざまなイベントも見送られたようで、参拝者はまばらだった。午後から晴れたが、予定されていた古墳時代の古刀の公開は行われなかった。私は午後から長傘を杖がわりにして、百草の急な坂を登った。阿弥陀さまは、お会いするたびに素敵になっていく感じがする。衣の彫りはシャープ、しかし、全体的にかわいらしい印象で、赤ちゃんのように抱っこしたくなっちゃう自分がいました^^

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訪れた日: 2010年9月19日(日)
訪れた場所: 東京都日野市の百草八幡神社(重文・阿弥陀如来坐像のご開帳)
         百草観音堂(観音さまなどの諸像)

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<謎の真慈悲寺と阿弥陀如来坐像>
 2010年9月19日、日野市百草にある八幡神社の
阿弥陀如来座像(国の重要文化財、鎌倉時代)のご開帳に行ってきた。
 八幡神社は、梅の名所、京王百草園に隣接する。その一帯は小高い山になっており、一番高い場所からは、近くを流れる多摩川とその支流の浅川が合流する地点が見える。小説家の田山花袋も感動した眺めだそうだ。
 この一帯には歴史の謎がある。鎌倉幕府の御祈祷所として大きな勢力を誇った台密系の真慈悲寺(しんじひじ)があった場所だと考えられているのだ。しかし、真慈悲寺はおそらく元弘の後、鎌倉幕府の衰退とともに、歴史からきれいに姿を消してしまった。
 江戸時代に入って同じ場所に黄檗宗の松連寺(しょうれんじ)が置かれたが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。地元の豪商が同地を買い取って百草園とし、さらに京王電鉄に売却されて今に至ると聞く。

 東京都日野市では、この幻の寺、真慈悲寺の発掘調査を行っている。そして、毎年、百草の阿弥陀如来坐像のご開帳に合わせて、百草園での講演会と周辺のガイドツアーを開催している。この銅製の阿弥陀如来坐像も、鎌倉時代に源氏に近い人物によって造立されたもので、真慈悲寺の阿弥陀堂にまつられていたと考えられている。

 私がお会いするのは今回で二度目。今回は日野市の企画に参加せず、じっくり阿弥陀さまと向き合うことにした。
 いつまでも阿弥陀さまのそばを離れず、遂には双眼鏡を取り出して、阿弥陀さまを凝視していると、近くにいた男性に話しかけられた。
 写真撮影禁止なのに、怪しげなもの(実際はただの双眼鏡なのだが)で阿弥陀さまをのぞいている怪しい女がいると思われたのかもしれない。
 しかし、偶然かつ幸運なことに、その方は日野市教育委員会の清野氏だった。
 私が「鎌倉大仏さまと印の形が似ていると聞いたのですが、暗くてよく分からなくて…」と言うと、ご自分で印の形をつくって説明してくださった。
少しお話をしているうちに、「詳しいですね。仏像が好きなのですか」と聞かれた。はい、大好きです!
 ともかく、専門家から興味深い話をたっぷり伺うことができた。印についてだけでなく、この地域における仏教宗派の流れや、元寇に対する仏教の動きに連携するように真慈悲寺の推定跡地でも瓦が出土すること、鎌倉幕府滅亡直後の1353年の台風で鎌倉大仏も高幡不動さまも大きな被害を受けたと考えておられること、多摩地域では14世紀前半で遺跡が途絶えた例が多いことなど。
 清野さんが阿弥陀さまを抱っこしたことがあると聞き、思い切り羨ましがってしまった。銅製だが、さほど重くはなく、人間の赤ちゃんぐらいにすっぽり腕で抱えられる大きさなのだそうだ。
 清野さんのお話と阿弥陀さまの可愛らしさで、すっかり満腹になった。なんともありがたいことだ。

<百草観音堂>
 今日の目的はもうひとつある。近くの百草観音堂だ。八幡神社のある山を駅と反対方向に少しだけ下りた場所にある。
 小さなお堂で無人だが、お堂の外からガラス越しにそっとのぞきこむと、観音さま、大日如来さま、阿弥陀さま、僧形像などが浮かびあがり、仏像好きのテンションは必然的に高まる。
阿弥陀さまご開帳日の八幡神社は人が多いが、ここまで来ると、仏さまと野鳥と私しかいない。私が訪れた日はヒヨドリが群れてピーピー騒いでいた。

<まとめ 日野市が好き!>
 私は日野が好きだ。
 日野市には、高幡不動さまなど、ハートをしびれさせる仏像がいらっしゃる。今回紹介した百草地区は石仏も多く、知られざる「仏ゾーン」だ。
 その一方、多摩川や浅川などの水資源が豊富で、里山も残っており、大好きな野鳥も多い。
 それでいて、東京多摩の大都市、立川と八王子に挟まれた便利な場所にある。
 ミシェラン効果で盛り上がる高尾山の次は、日野ブームが起こるのでは!?
 日野市ブームか…。いやいや。今のまま知られざる「仏ゾーン」であり続けてほしいというのが私の本音かもしれない。

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2010年8月17日 (火)

急にブーム到来?東京都青梅市・安楽寺の軍茶利明王さま

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お会いした日: 2010年8月14日(土)
お会いした場所: 安楽寺の軍茶利明王堂
お会いした方: 軍茶利明王立像(造高297センチ、寄木造り)

 8月14日は東京都青梅市・安楽寺の軍茶利明王像の年に一度のご開帳の日。電車と不便なバスを乗り継いで出かけた甲斐は十二分にあった。その理由は以下のとおり。

(1) <かっこいい!> 第一の理由は、とにかく軍茶利明王さまがかっこいいこと。写真で拝見していた以上に胸板が厚く、どの腕も太くて長くて、乙女心を締めつける。真っ赤な口からのぞく白い牙。まん丸に大きく見開いた両目は力強いが、若干ユーモラスでもある。力強くてユーモラスとは、モテ男の条件ではないか。下半身がバランス的に短めだが、地方仏の素朴さが出ていて好感がもてる。

(2) <高幡不動さまとご兄弟?> この軍茶利さまの特徴、どこかの誰かと似ていないだろうか? 私は東京都日野市・高幡不動尊に伝わる平安後期の丈六の不動明王坐像および二童子像との近似性を感じていた。
 どこにも誰も書いていないかもしれないが、私は素直に自分の思いをここに吐露したい。それは、「この軍茶利明王さまを造られたのは、高幡不動のお不動さまと同じ仏師ではないか?」という仮説である。私の大大大好きな高幡の不動三尊はとびっきり力強くて、地方仏らしい素朴さもある。安楽寺の軍茶利さまを間近で拝見しているうちに、そんな高幡不動さまと同じ匂いを感じたのだ。京都・神護寺の五大虚空蔵菩薩像と大阪・歓心寺の如意輪観音さまとに近似性を感じるのと同じ感覚である。
 お不動さまと脇侍の二童子像は別々に造立されたと考えられているが、そのどちらかの作者が安楽寺の軍茶利さまも造られたのではないだろうか?

(3) <仏像本で急にブーム到来? お坊さまと楽しい会話!> 軍茶利明王堂で拝観者を受け入れてくださった若いお坊さま。とてもきさくにお話してくださった。お坊さまは私に、仏像が好きなのか、どうやって安楽寺を知ったのかをお尋ねになった。
 なんでも、お坊さまのお話によると、毎年8月14日に開帳しているものの、近所の人がぽつぽつとお参りにみえる程度だったらしい。それが今年になって急に問い合わせが増え(1日20件なんて日もあったらしい)、14日当日も朝からグループや神奈川方面からの見仏人がやって来たというのだ。
 お坊さまとの話で見えてきたのは、学研から昨年秋に発行された『東京近郊 仏像めぐり』という本の影響である。この本に写真入りで軍茶利さまが紹介されているのだ。私も今年に入ってから、Twitterでこの本と安楽寺さんのことを知ったばかり。
 お寺では、この本をご存知ではなかったとのこと。急に問い合わせが増えたので、「どうしたんだろう」「ブームが来たか」と首をかしげていたらしい。数年前に取材の人が来て写真を撮影して帰ったが、そんなのは忘れていたとおっしゃっていた。
 おそるべし仏像本の影響力! 学研さん、すぐに安楽寺さんに数冊を贈呈するように!

 安楽寺さん、私のような見仏人を温かく迎えてくださって、ありがとうございました! お譲りいただいた散華、大切にさせていただきます。

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2010年2月13日 (土)

興福寺・阿修羅像と2009年阿修羅ブーム

出かけた展覧会:
   国宝阿修羅展@東京国立博物館(訪問日 2009年5月5日)
   お堂で見る阿修羅@奈良の興福寺さん(訪問日 2009年10月25日)

 昨年、興福寺の阿修羅を中心とする展覧会が九州国立博物館と東京国立博物館を巡回した。最後に、本家・興福寺の仮金堂で、「お堂でみる阿修羅」と題した企画展示が行われた(注)。
 私は、東京都と興福寺の展示を参拝した。どちらも大混雑で、阿修羅ブームを目の当たりにすることとなった。

 昨今の仏像ブーム。基本的に日本人は日本の仏像が好きだと信じているので、特には驚かない。
 ただ、上野の東博に集まった人の数を見ると、ブームに踊らされてやってきた、いわゆる「みーはー」な人も含まれているように思う。
 それは真の仏像ファンになる一つのきっかけなので、私は否定しない。子どもの頃から仏像が好きで、よく「変わっているね」とほめられて(?)きた私にはむしろ、周りの目が温かい中で仏像ファンになれることがうらやましい。

 このように展覧会に集まる人たちに私が言いたいことは2つだけ。

 一つは、キャッチコピーや宣伝文句に縛れすぎないでほしいということ。自分の感性と経験から感じてほしい
 たとえば、今回の国宝・阿修羅展では、阿修羅像をして「天平の美少年」というフレーズがよく使われた。これは決して間違ってはいない。しかし、それだけではない。光明皇后さまのつくられた仏さまなのだから、そんなに単純なわけがない。
 あの眉の動きは、これから泣き出しそうにも、笑い出しそうにも見える。大変微妙な表現だ。だからこそ、拝む人の感じ方次第で、大きく表情が変わる
 私が春に上野でお会いしたとき、阿修羅さまのお顔は、子どもからの相談に悲しみを覚える母の顔に見えた。
 大切に育てたわが子が大きな失敗をしてしまった、あるいは悲しい目にあった。その失敗や悲しみを大きく包みつつ、同時に自分もその痛みを同程度以上に感じ、それをあえて子どもに悟られないようにする母の姿に私には見えてしかたがなかった。
 ところが、興福寺の仮金堂でお会いしたときには、なぜか阿修羅さまは初々しい子どもの表情だった。無邪気に笑い、子どもらしく上気した薄紅のほほまで私には見えた。
 これをどう解釈するのか。地元の展示会場でお会いするときは日頃の悩みが抜け切れないのに対し、旅先ではそれが完全に抜け切ったのではないかと思っている。勝手な解釈かもしれないが、優れた仏像ほど、拝む私たちの内面を映し出してくださる。心を映す鏡の役割を果たしてくださる。
 だからこそ、阿修羅さまにお会いした一人一人がそれぞれ自分だけの阿修羅さまを感じてほしい。展覧会の宣伝文句がその妨げとならないことを願う

 二つ目は、仏像に敬意を払ってほしい
 去年の三井寺展では、大変貴重な秘仏を公開してくださっているのに、仏像や仏画の前で大きな声で品評しあう声が聞かれ、とても悲しかった。
 今回の阿修羅展でも、その他の展覧会でも、デリカシーなく大声で語り合う人がいるのが残念でならない。(ただ大好きな橘夫人の阿弥陀三尊像の前に人だかりができ、「きれいね」という声が聞こえたときは嬉しかった)

 最後に、私の心の師の一人である、亀井勝一郎さんの著作から、次を引用する。
 「仏像を語るということは、古来わが国にはなかった現象である。仏像は語るべきものでなく、拝むものだ。常識にはちがいないが、私はこの常識を第一義の道と信じ、ささやかながら発心の至情を以て、また旅人ののびやかな心において、古寺古仏に対したいと思ったのである。仏像が私にそれを迫ったと云っていい。つまり私は菩提心を誘発されてしまったわけだ」
 すべての仏像との出会いがこうでありますように。

(注) お堂なので「展示」という言い方はふさわしくなく、「おまつりする」というべきだが、ご勘弁いただきたい。お寺さんの方でも、「お堂で拝む」ではなく「お堂でみる」という表現を使っており、博物館展示の影響を感じてしまったのです。最近の東京国立博物館並みに凝った照明となっており、それまでの国宝館とは一線を画していた。本来、西金堂では端に配されていたい阿修羅さまが、今回、仮金堂では堂々と中央全面に配されていた。

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