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2009年3月20日 (金)

「平泉~みちのくの浄土~」展@世田谷美術館 写真!

 前回の記事で文章中に写真がうまくアップロードできなかったので、写真のみをこちらに掲載する。

 まずは、展覧会ポスター。世田谷美術館のある砧公園の入り口の一つに掲示されていたもの。

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 次に、展覧会入り口の天上付近に張ってあった、金色堂内陣のパノラマ写真。

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 最後に、展覧会入り口のホールに展示されていた、金色堂の模型。

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「平泉~みちのくの浄土~」展@世田谷美術館 感想!

 世田谷美術館で開催されている「特別展 平泉 ~みちのくの浄土~」に行ってきた。

 平泉は25年前に訪れたことがある。当時、毛越寺の境内にユースホステルがあり、そこに宿泊し、毛越寺の浄土庭園を散策して、中尊寺まで歩いた記憶がある。ユースホステルとはいえ、お寺に宿泊したことがうれしかった。近くの厳美渓まで自転車で行き、絶景と名物のお団子も味わい、とても楽しい旅だった。

 そんなことを思い出しながら、展覧会の会場に入った。

 展覧会の最初にいきなり中尊寺金色堂の西北壇の仏像11が、金色堂と同じ配置で展示されており、度肝を抜かれた!!! 思えば、20051月に世田谷美術館で吉野の蔵王権現を拝見した時も、同じ場所にメーンの巨大な蔵王権現さまが展示されていた。展覧会の冒頭にメーンを持ってくるのが世田谷美術館のやり方なのだろうか?

 金色堂の西北壇は、奥州藤原氏三代の秀衡の遺体を収めた壇で、金色堂の向かって右奥に配されている。私が訪れた時も今も、金色堂自体がガラスケースに入って、金色堂ごとすっぽり別の新しいお堂に収められており、金色堂に配される諸仏は遠くから眺めることしかできない。しかも、60センチ強の大きさの仏像が折り重なるように配置されているので、一つ一つの仏像をじっくり拝見することは現地平泉では不可能なのだ。

 ところが、今回の展覧会では、ガラスケースはあるものの、間近で一つ一つの仏像を拝見させていただくことができた。これこそ展覧会の醍醐味(!)である。現地にある螺鈿細工の見事な須弥壇はさすがに展覧会では見ることがかなわなかったが、それでも、間近で仏像を拝めるのはありがたい!

 金色堂の三つの壇のうち、一つの壇をまるごとそっくり展覧会に出展するのは、おそらく今回が初めてだろう(この展覧会は昨年11月に仙台、12月に福岡で開催され、世田谷が最後の巡回である)。ここに平泉の皆さんの並々なる思いを感じた。平泉は昨年、世界遺産登録申請が認められなかった。平泉の魅力を地元、日本の人々に広く知ってもらい、世界遺産登録につなげたいとの切なる思いが、今回の西北壇まるごと出展につながったのだろう。その思いが痛いほど伝わってきた。

 ただ、金色堂の仏像自体は表現が形式的で、その一つ一つを拝見する限りでは、近畿地方の藤原期の仏像を真似たお人形のようにしか私には見えない。しかし、それが何十体と同じ場所にまつられていることに加えて、仏像の下には、奥州藤原氏の清衡、基衡、秀衡の3代のミイラと4 泰衡の首が今も眠っている。その文化的、歴史的な価値は、世界に類を見ない貴重なものではないだろうか!!!

 また、昭和の時代に、荒廃していた金色堂を立て直すため、僧侶らが文化庁と交渉し、それまで単なる“伝説”にしかすぎなかった金色堂の壇内の遺体が現実に奥州藤原氏4代のものであることが確認されたという事実も、大変貴重なだと考える(藤原4代の遺体の学術調査は昭和25年に、金色堂の解体修理は昭和37年に開始されている *注1。展覧会の音声ガイドや映像展示では、こうした説明がなかったが、こうした文化的歴史的な価値をもっと強調した方が平泉のためによいと考える。

 次の展示室では、「みちのくの古代・みちのくの仏たち」と題して、福島の勝常寺、岩手の成島毘沙門堂や黒岩寺、天台寺など、東北を代表するお寺の仏像が展示室いっぱいに展示されていた!!!

 仏像の造形という点で見る限り、私は金色堂の諸仏よりも、これらの仏像の方が数段に好きだ。どれも1メートルを超す木造の仏像で、なにより表現が穏やかで、大らかで、素朴である。金色堂が京都をまねたものであるのに対し、これらのお寺の諸仏には、そうした地方らしさが全面に表れている! 金色堂では感じられないオリジナリティの強さを私は感じるのである。

 私がとても憧れている福島の勝常寺の国宝の薬師三尊は、仙台展と福岡展には出展されたのに、世田谷には出展されていなかった。出品リストを見ていたので、すでに知っていたのだが、実際に会場にいらっしゃらないのを見るのは残念だった。(ギフトショップで、ポストカードを眺めたのみだった!)

 その代わりに、勝常寺から持国天と広目天がいらしていたので、そちらをじっくりと眺めることにした。

 天台寺の一木なた彫りの聖観音さまは、2006年「仏像~一木にこめられた祈り」展(@東京国立博物館)でお会いして以来。地方仏の素朴さと大らかさをもちながら、高い芸術性をたたえた、なた彫りの最高傑作の一つだと思う。

 同じ天台寺の伝吉祥天立像は両腕がないものの、でぷっとしたかわいらしさが印象的。成島毘沙門堂伝吉祥天立像も素朴で大らかな印象ながら、頭上の宝冠になんと象に頭部が二つ彫りこまれた大変珍しいお姿。現在は腕が2本しかないが、本来は複数あったとのことで、吉祥天以外の仏様である可能性が指摘されていた。

 岩手の松川二十五菩薩堂からは、二十五菩薩と飛天の像の残欠が出展されていた。全体像を留めていない残欠(20センチ前後~60センチ強)ではあるのだが、二十五菩薩と飛天が踊り、歌いながら来迎するさまを自然と想像してしまった。それだけ仏師の技術が優れているのだろう。

 それ以外の展示では、迦陵頻迦(かりょうびんが)と宝相華唐草文が彫刻された国宝の華まん(中尊寺金色院)に心奪われた。私の趣味は仏像と野鳥を見ることなので、この両方がかなえられる迦陵頻迦が大好きなのだ。

 また、国宝 紺紙金銀字一切経(和歌山・金剛峯寺! なんと高野山!)や国宝 紺紙金字一切経(中尊寺大長寿院)など、紺紙に金や銀で写経したものがたくさん展示されていた。各経巻の最初に金や銀で絵が描かれているのだが、その絵が斬新なものに思え、とても楽しめた。絵は仏様たちを描いたものに加えて、地獄絵のようなもの、庶民がカモを弓で射ようとしているものなどあった。

 一番びっくりしたのが、国宝の金光明最勝王金字宝塔曼荼羅図(中尊寺大長寿院)! 細長い画面いっぱいに描かれた宝塔をよく見ると、すべてお経の文字で描かれていた。お経の文字数は限られているのに、その限られた文字数でしっかりと宝塔を描ききるとは。私のようなズボラな人間はその緻密さに脱帽である。

 2階の展示室には、中尊寺の渡海文殊がいらっしゃった。渡海文殊は私が特に好きな群像の一つだが、中尊寺のものは特に感動しなかった。なぜだろう。彩色がうまくないためか(彫刻自体は平安時代なのに、彩色がやたらと新しい)。それとも、安倍文殊院の快慶の渡海文殊などの傑作が心に焼き付いているためか。

 最後になるが、平泉が世界遺産に登録されることを願っている。金色堂の仏像だけに注目してしまうと、京都のものまねで、お雛さんみたいに思えたりする。しかし、それでも数十体がそろっていることに価値があるし、奥州藤原氏のミイラが納められていること、昭和の時代に金色堂を荒廃から立ち直らせた僧侶らの努力があったこと、毛越寺の浄土庭園や舞いなどの伝統、達谷窟(たっこくのいわや)や柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡などを含めて、世界遺産の価値は十分にある。京都を介さず直接、宋と交易することを可能にした平泉の「金」が注目されがちだが、それだけではない価値がある。

 世界遺産の審査員には欧米人が多いと聞く。浄土思想に根づいた奥州(おうしゅう)の魅力が欧州(おうしゅう)の審査員にも理解されますように! (おやじギャクにて失礼)

 同時に、福島の勝常寺など徳一にまつわる仏像や、天台寺や成島毘沙門堂などの素朴でおおらかな地方仏の魅力ももっと多くの人に知ってもらいたい。私も東北のお寺は中尊寺、毛越寺、無量光院跡などを25年前に回ったきりで、ほとんど行けていない。私は最近、地元の関東の諸仏をまわるようになって、地方仏の魅力と力強さをひしひしと感じている。関東の仏像を拝見してから東北の仏像を拝見するというのは、とても有意義で楽しいことだろう。

展覧会の詳細

「特別展 平泉 ~みちのくの浄土」

開催場所: 世田谷美術館

会期: 2009314日~419

1 解体修理と遺体学術調査の開始日は、『週刊 古寺をゆく4 中尊寺』(小学館 2001年)より。

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