○放光寺(山梨県甲州市塩山)
阿弥陀浄土図
法隆寺金堂壁画模写。祐参(ゆうざん)筆。嘉永5年(1852)
 浄土宗初代管長・知恩院75世、養鸕徹定(うがいてつじょう)が、嘉永5年(1852)に法隆寺を訪れ、法隆寺妙音院の僧千純の協力を得て、侍者の祐参に模写させたもの。礼拝用に三幅に仕上げたもので、飛鳥時代の色彩を考慮しつつ、補作した部分もある。
 塩山出身の幕臣・真下晩菘(ましもばんすう)が放光寺羅漢堂の再建を発願した際、養鸕徹定が、羅漢堂本尊として晩菘に寄贈したのだという。浄土図の裏にその旨の文章が残っている。
 明治17年(1884)頃に桜井香雲が模写した際にはほぼ見えなくなっていた化生菩薩ら(阿弥陀如来の下の部分)が、放光寺所有の模写でははっきりと描かれる。
 養鸕徹定の関わった模写の存在自体は前から知られていたが、それが実際にどこにあるのかは長年不明だった。法隆寺が行方を探しているという話が放光寺の前住職の耳に届き、改めて寺宝の阿弥陀浄土図を確かめてみると、徹定ゆかりの模写であることが確認できたのだそうだ。判明したのは昭和の終わり頃だという。
 この阿弥陀浄土図は、現存する最古の模写として、今年の春、「法隆寺金堂壁画と百済観音」展(東京国立博物館)に出展されるはずだった。しかし、コロナのため展覧会は開催されないまま中止となってしまった。放光寺で今年8月に古屋絵菜の個展を行うに際し、放光寺での公開に踏み切ったのだそうだ。
 公開最終日に訪れると、住職が直接、上記の内容の解説をしてくださった。法隆寺壁画の最古の模写が甲州に残ることを甲州の誇りとして知っていただきたいとのことだった。

○染色作家・古屋絵菜の個展「古今蓮葉」
 ろうけつ染めの蓮の花がお寺の空間にとても合う。特別公開された阿弥陀浄土図とも、とても相性がよい! 古典と現代作家の作品との対峙に心が癒され、身体の細胞が喜ぶような感じがした。

○放光寺には重文の仏像が5躯!
 ちなみに、放光寺には平安時代後期の大日如来坐像、天弓愛染明王、不動明王立像、仁王像の5躯がおられ、すべて重要文化財に指定されている。私は特に、大日如来のかわいらしく優しいお姿が好き!! 茶目っ気ある仁王さんも大好き!! 大変重要な点なので、最後に付け加えておく。