楊柳観音さま、ごめんなさい(奈良・大安寺)
【概略】 大安寺の楊柳観音さまは2003年イラク戦争の開戦直後に「仏の怒りと悲しみ」を伝えるべく、ニューヨークで展示されたことがある。楊柳観音さまの恐い表情が苦手だった私は、2年前にこの事実を知り、自らの認識不足を観音さまにお詫びしたいと思っていた。やっと大安寺を訪れた私に観音さまが教えてくれたのは、「あるべき母の姿」だった。
2012年5月13日は母の日。
この日に一人で奈良の大安寺を参拝した。
目的は楊柳観音(画像 http://www.daianji.or.jp/01/0103.html)さまに謝罪すること。
上野の展覧会でお会いしたことのあるこの観音さま、実はかなり苦手だった。観音さまなのに恐いお顔で近づきがたい。というか、かわいくない。
しかし、それは私の無知からくる誤解だった
それに気づいたのは、西山厚『仏教発見!』(講談社現代新書)の冒頭を読んだとき。
そこには次のような衝撃の事実が書かれていた。
2003年、アメリカがイラクに攻撃を始めたとき、大安寺の楊柳観音は、ニューヨーク、ジャパン・ソサエティ・ギャラリーの「日本と韓国の古代仏教美術」展(2003年4月9日~6月21日)での公開を控え、梱包されて空輸されるのを待つ状態だった。大安寺の河野良文住職は出展を躊躇したが、最終的に、次のようなメッセージを添えて公開することを決意した。
「この仏像の憤怒の表情は、大義がいかなるものであれ、愚かしい戦争を怒るものである。その悲劇を憤り、嘆くものである。仏の怒りと悲しみをあえてお伝えするべく、開陳を認めた。大安寺住職 河野良文」
私はこの展覧会のことは知らなかったが、当時のアメリカのニュースはよく見ていた。イラク戦争が始まったのは2003年3月20日。同時多発テロの翌年である。アメリカから届くニュースには、戦争に反対するものは非国民とされる雰囲気が感じられた。
そんな中、「怒り」だけでなく、「悲しみ」を伝えるべく送り込まれた楊柳観音さまと、
それを送り出した大安寺のご住職。
その偉大さにただただ敬服するばかりだった。
ニューヨークの人たちは観音さまの思いを感じることができたのだろうか。
本を読んでから2年余りが過ぎ、私はやっと楊柳観音さまのお膝元まで行くことができた。
大安寺の収蔵庫には、楊柳観音を含め、不空羂索観音、聖観音、四天王といった奈良時代の木造の仏像がお並びであった。
楊柳観音さまは相変わらず恐い形相でお立ちであった。両目をつり上げ、口は激しい怒りをあらわにして、かっと開いている。
私は収蔵庫の床に座り、古仏さまたちと向かい合い、その声を聞き取ろうとした。
楊柳観音さまはやはりこわい。近づきがたい。
しかし、隣には、ゆったりとしたおおらかな笑顔の不空羂索観音(画像 http://www.daianji.or.jp/01/0105.html)がおられた。
この二人にしらばく向かいあう中で気づいたことがある。
それは、「この二人で一人の母親の顔を表している」のではないかということ。
包容力のある、おおらかな笑顔と、「仏の怒りと悲しみ」を込めた激しい怒りの表情。母はこの二つの顔を適時に、適度に使い分けることが大切なのだ。
そして、母親である私は、それが思うほど簡単ではないことを知っている。
しつけが必要なときに甘やかしたり、おおらかに受け止めるべきときにきつく当たってしまったり。
「仏の怒りと悲しみ」を理解できたのかと聞かれたら、それはなかなか難しい。
しかし、楊柳観音さまは、お隣の不空羂索観音さまとご一緒に、私の心に近づいてきてくださった。
そして、母として大切なことを気づかせてくださった。
ふと気づくと、収蔵庫だけで一時間弱が経っていた。収蔵庫を去る直前、私はついに目を閉じて手を合わせ、楊柳観音さまにこれまでの誤解をわびた―――。
目を開けて再び楊柳観音さまを見上げると―――。観音さまはさらに怒りを募らせたように見えた!!!
楊柳観音さまは笑って許してくださるような仏さまではない。
ダメ母の修行はこれからも続くということなのだろう。
おまけ 大安寺前の空き地で、うるさく鳴きながら飛んだり、降りたりしてる野鳥を発見! 写真はボケてますが、ケリという鳥です。
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