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2010年1月28日 (木)

アンコールワット展@日本橋三越本館~クメールの仏像、きっと日本人も好きになる~

20100118_2

訪れた展覧会: 世界遺産アンコールワット展~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~

 プノンペン国立博物館/シハヌーク・イオン博物館所蔵

展覧会の開催地:  三越日本橋本店 新館7階ギャラリー(注)

展覧会の開催期間: 20091227日~2010118日(注)

訪れた日:     2010118

   (注)京都で開催後、東京、山梨、その他数か所に巡回中。

 東京・日本橋の三越本店で開催の「世界遺産アンコール展」に出かけてきた。

 私は現地アンコールワットに行ったことはないが、映像や写真で見るアンコールワットの彫刻と建築には大きな憧れと尊敬の気持ちを抱いてきた。

 こういった展覧会では、現地に行って得られる感動の半分も得られないことが多い。そもそもあれだけの規模の芸術をデパートのフロアで再現できるはずなどない。そのことは承知のうえで出かけた。

 しかし、クメールの仏や神の独特の表現を間近に見て、大きく心を揺さぶられた。あえて簡単に表現すると、「クメールの人の手にかかるとこんな仏像ができるんだぁ(感嘆)」と思う。そして、「日本の仏像が好きな人なら、きっとクメールの仏像も心に響くはず」とあえて言ってしまいたい。

 同時に上智大学アンコール遺跡国際調査団の功績も心から称えたい。戦乱の頃からカンボジアの人と文化を尊重しながら保存、調査に当たられた調査団を尊敬する。

 

感想

(1) 仏像の顔は造られた場所の人の顔に似る。仏像は造られた場所の文化を反映する。

 それを再確認した。

 カンボジアの人は仏教の仏さまもヒンズーの神々もクメール風にアレンジしてしまう。それはそれで私にとってエグゾチックではあるのだが、インドのものよりさっぱり、すっきりしていて、なぜか親しみを覚えてしまう。

 それが特に表れているのが、「両手をつないだシヴァ神とウマー妃」(砂岩、11世紀)である。インドのヒンズー神像からは考えられない素朴な顔つきと質素な服装。クメールの水田で汗を流す夫婦の姿そのものではないかと思えた

(2) アンコールワットの特徴=両目を閉じた静かな表情

 私の中では、アンコールワットの彫刻と言うと、両目を閉じた静かな表情がまずは思い浮かぶ。

 静かに閉じた両目。幅広の鼻。静かに閉じたくちびる。どれも安定感があり、静謐で、時にユーモラスであり、それでいて厳かな表情。

 現地の(おそらく)蒸し暑い空気の中で、そんな表情と対面したかった。しかし、三越本店においでくださった彫刻の中には、これと同じ表情のものが確かにあった。

 私の中で印象に残ったのは次の3作品。

 作品No.9 ローケーシュヴァラ(頭部」(砂岩、12世紀末~13世紀初、バイヨン様式)

 作品No.2 ジャヴァルマン7世の尊顔(頭部)」(砂岩、12世紀末~13世紀初、アンコール期)(画像はhttp://www.nhk-sc.or.jp/event/contents/ankoru-tokyo.htmlを参照)

 作品No.44美しい尊顔の禅定するプラジュニャーパーラミター(般若波羅密多菩薩)」(12世紀)

 ローケーシュヴァラは観音菩薩を言うらしい。この尊顔と、実在の人物ジャヴァルマン7世(在位11811218年)の尊顔とがよく似ている。

 音声ガイドなどの解説によると、ジャヤヴァルマン7世が自ら現人神(あらひとかみ)を名乗って彫像をつくらせたのだと言う。ジャヤヴァルマン7の彫刻は、「権力を持ちながら民衆の声も聞く慈悲深い王であることを示している」のだそうだ。要するに、自分の顔そっくりの仏像をつくらせ、自身を神格化した彫像もつくらせたということらしい。

 プラジュニャーパーラミターはチケットに印刷されている(写真を参照)とおりの、穏やかな表情。くどいようだが、静かでいて、ユーモラスでもあり、厳かでもある。これを嫌う人間はきっとこの世に存在しない。

(3) 特筆したい特殊なお姿

 (3.1) 「7つの頭のナーガ上で禅定する仏陀坐像」(砂岩、12世紀)

 仏陀が涅槃に入るための7週間に及ぶ禅定を行っているとき、滝のような大雨が1週間続いたという。そのときに、蛇神であるナーガが地中から現れ、とぐろを巻き、7つの頭を大きく広げて仏陀を守った。この彫刻はそのときの様子を表しており、カンボジアでは多く見つかっている姿なのだそうだ。

 よく見ると、座禅する仏陀の台座部分が蛇のとぐろになっており、光背部分が7つの蛇の頭になっている。このように書くとおどろおどろしいかもしれないが、そこはさすがクメール流である。仏陀には静かな品格が感じられ、とぐろも静かな台座のようにしか見えない。蛇の頭も静かな印象である。

 (3.2) 「鎮座する閻魔大王ヤマ天」(砂岩、1314世紀)(画像はhttp://www.nhk-sc.or.jp/event/contents/ankoru-tokyo.htmlを参照)

 なんとも不思議な印象の彫刻である。

 閻魔大王とは言っても、奈良の白毫寺などにあるような中国風の服装を着た恐い顔の像ではない。

 体格のいい裸身の像が地面に座った姿なのである。折って立てた右脚の上に右手がおかれ、折りたたんで寝かせた左脚を優しく左手で抑えている。胸には適度の筋肉があるようだが、腕や背中は柔らかい印象。音声ガイドでは「背中は女性のやわ肌のよう」と言っていたが、ひげをはやしているし、張り出した胸の筋肉が目立つので、私には男にしか見えない。性器の表現はまったくなく、それが返って意図的であり不自然にも思える。

 三島由紀夫がこれを元に書いた戯曲があるとのこと。言われてみれば、三島が惹かれそうな作品だと妙に納得。さっそく図書館で予約した(今は絶版らしい)。

 (3.3) 「シヴァ神の乗物獣ナンディン(牡牛)」(砂岩、7世紀、前アンコール時代)

 牛が脚を折りたたんで横たわる姿。シヴァ神の寺院の前に必ず置かれていたのだそうだ。優しい目と穏やかな表情で、ユーモラスな感じもある。

 脚を折りたたんで横たわる姿は、天神さまによくある牛の像にそっくりだった。何か関連があるのだろうか。

(4) 砂岩という素材とその表現

 今回、出展されていた彫刻のほとんどが砂岩でできていた。

 同じ砂岩製でも、若干赤っぽくて(土の色っぽい)ざらざらした感じ作品(「アスラ(阿修羅)を退治したナラシンハ坐像」(画像はhttp://www.nhk-sc.or.jp/event/contents/ankoru-tokyo.htmlを参照)や「門番の役目をするガルダ」)もあれば、研磨して白っぽい作品や、グレーっぽい作品もあり、興味深かった。

 砂岩の彫像でも、像の一部(たとえば皮膚のみ)を研磨して、それ以外の部分を研磨しない表現を取る作品もあった。日本のなた彫りの表現にも同じような作り方があり、興味深い。

(5) 最後に三越さんに少しだけ小言

 今回、残念だったのは、出品リストが用意されてなく、最終日なためか、展覧会ちらしさえ入手できなかったことだ。

 「三越さんて、こんなレベルだったんだ。まぁ東博レベルはさすがに求めちゃいけないね」と思ったのだが、音声ガイドを頼んだのに解説される作品のリストがついて来なかったのには、さすがに少しだけキレかけた。たくさんの入場者でごった返す入口で、音声ガイドのリストはないのかと尋ね、やっと入手できた。係の人がファイルしていたものらしい。音声ガイドを持った女性に「それどこにあったんですか」と聞かれたので、私にだけ渡しそびれたというわけではないようだ。

 あるサイトによると、アンコールワット展の入場者全員に上智大学・石澤良昭学長とタレントはなの対談を載せたリーフレットが配られるとあったのだが、まったく見当たらなかった。

 最低でも、作品リストは欲しい。

 また、受付で三越か伊勢丹のカードがあれば、入場料1000円が無料になるとの説明を受けた。展覧会サイトに小さくでもいいから書いておいて欲しかった。

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