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2009年5月 2日 (土)

隠れた名作! あきる野市大悲願寺の阿弥陀三尊像

訪ねたお寺:   東京都あきる野市の大悲願寺(真言宗豊山派)

拝観した仏さま: 伝 阿弥陀三尊像(年に一度のご開帳)国の重要文化財

      木造寄木造 漆塗りの金箔張り

      像高 阿弥陀さま89cm 観音さま59cm 勢至さま61cm

訪ねた日:    2009422

090422

 あきる野の大悲願寺で年に一度のご開張があると聞き、出かけてきた。大悲願寺はJR五日市線、武蔵増戸駅から徒歩15分、横沢入里山保全地区を擁する丘陵のふもとにある。公開される仏さまは伝 阿弥陀三尊だ。

 武蔵増戸駅を降りると、奥多摩という言葉を実感させるのどかな風景が広がる。初めてお会いする仏さまへの期待に胸を膨らませながら、線路沿いの道を進んだ。

 寺に到着すると、門前に長い人の列ができていた。公開時間の午後1時を30分ぐらい過ぎた頃、やっと境内に入ることができた。強い日差しの中、40分は外で待ったことになる。しかし、仁王門から境内に入った途端、そんなことはどうでもよくなる。

<無畏閣>

 伝 阿弥陀三尊をおまつりしたお堂は、無畏閣と呼ばれている。無畏閣という名前から、観音さまをおまつりする場所であることが推定される。実際、お寺では観音堂とも呼ばれているとのこと。

 まずは、この無畏閣の外観がすばらしい。無畏閣は1794年に建立された後、18341842年に羽目板などの彫刻部分が付け加えられたと考えられている。20051月から200612月にわたって半解体修復工事が行われ、堂の彫刻部分に鮮やかな色彩がよみがえった。

 堂外観の正面右上には閻魔大王、司録と司命の姿があり、そのそばで、鬼に舌を抜かれている人がいる。正面左上には、死者の衣を脱がす奪衣婆、童子を助ける地蔵菩薩、阿弥陀如来のいる極楽浄土の様子が描かれている。このように描かれている内容と、日光東照宮の彫刻群を想起させる色彩や表現から、江戸時代の当時の人々の信仰と芸術のありようが見えてくる。

<伝 阿弥陀三尊坐像>

 無畏閣の外観をしばらく堪能した後、ついに堂内に入れることとなった。

 無畏閣の中では、堂内に座った3040人の信者を前に、ご住職が説法をしていた。堂内はすでに満員である。さらに、堂内の右端に拝観者が並び、奥の仏龕(ぶつがん)に置かれた 阿弥陀三尊坐像を順番にお参りしていた。

 私は右端の仏像拝観の列に並んだ。住職のお話を聞くともなしに聞きながらしばらく待つと、やっと自分の番が来て、三尊の前に進むことができた。

 まずは正面右の観音さまにお会いする。なんと千手観音さまだ。静かで厳かなお顔とお体である。

 龕の位置が低い上に、拝観者である私が仏さまのすぐ面前に立っているため、必然的に視線が観音さまの頭の下あたりになってしまう。見仏という観点からは望ましい位置ではないが、結果的に観音さまの頭上の十一面のお顔が必要以上に(!)よく見えた。頭上の一番大きなお顔は、メーンのお顔とは印象が多少異なり、おじさんぽく見えた。しかし、それでも、観音さまの全身から感じられる静かで厳かな印象は変わらない。

 中央の阿弥陀如来さまも、その隣の勢至菩薩さまも、同様に静かで厳かな印象である。三尊とも半眼で、静かな中に緊張感がある

 この三尊が通常と変わっているのは、脇侍の観音さまが聖観音ではなく、千手観音であることと、中央の阿弥陀さまが弥陀の印でなく、お釈迦さまなどの像に見られる法界定印である点である。光背の梵字が阿弥陀さまのものだということで、寺では阿弥陀さまとしておまつりしているが、このような特異点があることから、正式には「伝」阿弥陀三尊と呼ばれているとのことだ。

 気になるのは、一体いつ頃の作品なのか、という点である。寺のパンフレントによると、「平安末期から鎌倉時代にかけての作と考えられ」るが、「作者や来歴が不明で確証がない」という。

 寺の縁起によると、大悲願寺自体は建久2年(1191年)に源頼朝の命を受けた平山季重(すえしげ)によって建立されたとのなので、この三尊も同時期の作品であり、慶派の系統の仏師の作品であることを期待してしまう。実際、事前にお写真だけを見ていた私は、行きの電車の中で「慶派作品にお会いできるかも!」と興奮していた。

 しかし、実際にご三尊にお会いしてみると、平安後期から鎌倉初期の慶派作品と推定するには、表現がかたすぎる気がしてきた。

 意外に、平安期の仏像を模した江戸時代の作品かもしれないと思ったりもした。実際、同じ東京・多摩地区の東村山市のお寺で、平安時代の作風を示す江戸時代の阿弥陀如来像を拝観したことがある。それも優しくて美しい像だった。今後の調査(行われる予定は今のところないようだが)に期待したい。

 また、この三尊が無畏閣=観音堂におまつりされているという点も気になる。もともと千手観音だけをおまつりしていたという仮説も考えられる。しかし、三尊の形式や表現は一致しており、同時に製作された可能性が高いよう思われる。

<まとめ>

 このように、美しさの裏で、製作と来歴にまつわる謎に包まれた三尊である。

 しかし、謎をたたえたそのお姿は大変美しく、凛々しい。お寺が「関東屈指の秀作」と言い切るだけの素晴らしい仏さまだった。関東の仏像めぐりをしていると、地方の小さなお寺に思いもかけない立派な仏像が伝えられていることがいる。仏像製作に携わった方々とそれを守り伝えてきた方々への感謝の気持ちがこみ上げると同時に、長い年月を経て今、私が仏さまと出会えたという感動を覚える。無畏閣の阿弥陀三尊もそのような感謝と感動に出会える仏さまだった。

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