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2009年1月17日 (土)

美術院の修理に心揺れて~高幡不動尊の大日如来像

お会いした仏さま: 大日如来坐像(平安時代10世紀)(日野市の市指定重要文化財)
                 像高83.8センチ 一木造  頭体部はケヤキ材、両脚部はカヤ材
お会いした場所:  
高幡不動尊(東京・日野市)
お会いした日:      2008年12月28日(修理後) 修理前も何度かお会いしている
お写真:中外日報のサイトを参照

http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-news/08/news0811/news081101/news081101_04.html
一言コメント: 平安中期の東国の素朴で優しい金剛界の大日如来さまです

 2008年12月初め、高幡不動尊さんからニューズレター(『高幡不動尊』第65号)が届き、京都の美術院に修理に出されていた大日堂のご本尊がご帰山されたことを知った。
 修理前の大日如来さまは、境内の大日堂の一番奥の高い所から、金色の光を優しく発していらっしゃった。全身が金箔で覆われていたのである。金剛界の大日如来坐像だが、東国の古い作品らしい素朴さをのこしつつ、金色の優しい荘厳さが印象のお姿だった。
 ところが、2008年の初めにお参りさせていただいたところ、大日堂の仏さまが阿弥陀さまに代っていた。係の方にお尋ねしたところ、京都の美術院に修理に出しているとのお話だった。後から知ったのだが、修理は07年9月に始まっていた。

<解体時のテレビ映像に大ショック>

 2008年5月21日、高幡不動尊で川澄貫主のお話を伺う機会があった。その中で、その当時修理中だった大日如来さまが、NHKのテレビで放送されたとおっしゃった。
 NHKで毎週放送されている「その時歴史が動いた」という教養番組の5月14日の回で、「日本人の心を守れ~岡倉天心・廃仏毀釈からの復興~」というタイトルの放送があった。岡倉天心が文化財保護法の制定に奔走して美術院を設立し、美術品でもあると同時に信仰の対象でもある古い仏像の修理方法を確立していく内容のものだった。
 この番組の最後で、現在の美術院での仏像修理の様子が映し出されたのだが、そこに映っていた修理中の仏さまが、高幡の大日如来さまだと貫主さまはおっしゃった。
 岡倉天心を心の師と勝手に慕う私はもちろん、この放送を見ていた。確かに、番組の最後に、修理中の仏像が映っていた。
 しかし、それは解体され、ぼろぼろの木肌をさらけ出した、大変痛々しいお姿だった。あまりの痛々しさに、私は放送を見ながら、「あなたはどこの仏さまですか? きれいに直してもらってくださいね」と心の中で話しかけたほどだ。それが以前から何度もお参りしていた仏さまだったとは…。
 ショックを受けつつも半信半疑なまま自宅に戻り、その夜、録画していた番組を見直してみた。言われてみると確かに、高幡の大日如来さまに見える。でも、金色じゃないし、智拳印を結んでいた腕がなくなっていた…。
 どんなふうに修理されて戻られるのだろう? 不安な思いを消せないまま、半年が過ぎた。

<修理後のお姿にほっと安心>

 そして、12月初め、自宅のポストに高幡不動尊のニューズレターが届いた。大日如来像の修理完了と高幡へのご帰山の様子が掲載されていた。
 ご帰還されたお写真を見て、肩の力が抜けた。素地の木肌だけのお姿だが、素朴な中に力強さと優しさをたたえていらっしゃった。
 とにかく実物を拝せねばと、年末の28日に出かけてきた。
 大日如来さまは奥殿に安置されていた。奥殿とは、高幡のご本尊の不動明王三尊像がやはり京都の美術院で修理を受け、高幡に戻られたときに、国の重要文化財であるこの不動三尊像を安置するために造られた建物で、高幡の貴重な文化財を展示、保管する場所ともなっている。
 奥殿では、大日如来さまはガラスケースに納められていたものの、すぐ間近でお会いできるようになっていた。
 思った以上の迫力だった。以前に大日堂の奥を覗き込むようにして拝したときには、こんなに大きな像だとは分からなかった。
 データ的には像高が83.8センチなので、確かに大きいとは言えない。しかし、立派な台座と光背を得ているためか、また、これほどの近距離にあって、大日如来様の目線の下から覗き込むためか、とても大きな存在に感じられる。
 古びた色合いの素地を残す木肌。平安中期に遡る、ゆったりとした造形。智拳印を結んだ両腕も、他の部分と違和感のないように仕上げられ、追加されていた。
金剛界の大日如来様らしい凛々しさはあるものの、それ以上に、大らかで優しい印象の素朴なお像に生まれ変わっていた。
 これが平安中期の造像当時のお姿か。きっと全身が金色に輝く造りだったのではないか、などと想像するのも楽しい。

 大日如来様が高幡に戻られた10月25日には、なんと美術院・国宝修理所長の藤本青一氏が京都からいらっしゃり、自ら修理報告をなさったのだそうだ。大変にありがたいことである。高幡山の総代、世話人の皆様や日野市の文化財関係者の皆様がその場に立ち合われたという。大変羨ましい話である

 高幡不動尊は多摩地域にありながら、京王線の最寄り駅から徒歩数分の至便な場所にある。ぜひ多くの仏像ファンと非仏像ファンにお参りいただきたい。高幡不動尊の奥殿には、国指定重要文化財の不動明王三尊像(=私が世界一大好きなお不動さま)もいらっしゃるので、そちらの拝観もお忘れなく。

<付記: 修理の工程>

 高幡不動尊のニューズレターには、美術院国宝修理所による「修理報告書」も掲載されていた。技術的な話になるが、まとめておく。
報告書によると、このお像は、造立後に数回に及ぶ修理を受けていた。後世の修理によって、ぶ厚い下地の上に布貼り、漆箔が施されていたため、彫刻面が覆い隠されていたのだという。また、全体に彫り直しや補足がなされ、両手の智拳印や頭部の宝冠が本体とはそぐわない形になっていた。
 日本の文化財修理の基本は現状維持であるため、造像当時のお姿を最大限に戻すこととなった。それにより、次のような作業が行われた。
○ 後補の漆箔をすべて除去し、接合部をすべて解体。
○ 材の腐朽した部分に合成樹脂をしみこませて木質の強化を行い、構造上必要な箇所を新たに補足。
○違和感のある後補材をすべて取り除き、両腕の大部分と宝冠などを新補。(補足箇所は周囲と調和するよう、古色仕上げとした)
 なお、取り除かれた後補材も奥殿に展示されていた。

 

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