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2008年12月12日 (金)

中宮寺の菩薩さまのご尊名は?

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今日の主役: 奈良・中宮寺のご本尊 菩薩半跏像

要 旨:  中宮寺に如意輪観音として伝わるご本尊だが、美術研究家は弥勒菩薩の可能性を指摘する。私はこの菩薩さまの大ファンとして、如意輪観音説をとりたい。その理由は次の3つ。(1)二臂の半跏像で如意輪観音とする例が他にも存在する、(2)弥勒さまのお姿は二臂の半跏とは限らない、(3)中宮寺で古来より如意輪観音としておまつりされてきた。

お姿を確認するには: http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=1403 がお勧め。お像全体の写真と拝観する際のポイントが確認できる。

*上の写真は、東京国立博物館の図録『中宮寺 国宝 菩薩半跏像』(2005年)の表紙 ~

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 奈良・中宮寺のご本尊は私にとって、とても大切な仏さまだ。15歳のとき、始めてお会いしたときの衝撃は、数十年を経た今でも忘れることができない。そして、今でも、毎日お写真を眺める。毎日ご尊顔を拝しても飽きることがないのは、その表情が日によって変化するからだ。もちろん彫刻が変化するわけはない。私自身のそのときの心情や体調によって、ご尊顔が違って見えるのだろう。無駄をそぎ落としたお顔と上半身、穏やかでゆったりとした下半身があいまって、そうした不思議な現象を可能にするのだと考える。中宮寺の菩薩さまは自分を映す鏡である。

 実は、この菩薩さまは、弥勒菩薩でも、観音菩薩でもなく、「菩薩半跏像」として国宝に指定されている。尊名が明示されていないのは、美術の専門家の多くがこのお像を弥勒菩薩だと考えるのに対し、中宮寺では如意輪観音さまとしておまつりしているためだろう。弥勒菩薩さまなのか、如意輪観音さまなのか、自分の考えをまとめてみたい。  確かに、このご本尊が作られた当時、特に飛鳥時代には、半跏思惟と呼ばれる形の弥勒菩薩像が数多く作られた。大阪・野中寺や京都・広隆寺の弥勒菩薩像などである。

 一方、如意輪観音さまと言えば、六臂で独特の形でお座りになったお姿のものがほとんどである。

 それでも、私はこのご本尊は如意輪観音さまだと思っている。この菩薩さまの大ファンの一人として勝手な意見を述べさせていただくと、その理由は3つある。

  (1) 第一の理由は、中宮寺の菩薩さまと同じように、二臂で半跏のお姿をなさっていながら、如意輪観音と呼ばれている他の例が、国内に存在するからだ。

 代表例が京都・宝菩提院の菩薩さまである。これは若々しい美しさをもった、ため息の出るほど素晴らしいお姿で、やはり「半跏菩薩像」として国宝に指定されている。また、奈良の飛鳥の岡寺のご本尊は、奈良時代に作られた一面二臂の巨大な塑像の坐像で、如意輪観音と呼ばれている。現在は結跏趺坐の形であるが、元来は半跏の姿だったとの記録があるという。

 これについては、もともと弥勒菩薩として作られたが、平安時代に入って如意輪観音信仰の流行または密教の影響を受けて、如意輪観音とお呼びするようになったのではないかという説をどこかで読んだ覚えがある。また、古い書物になるが、亀井勝一郎は『大和古寺風物詩』で、美術研究者 植田寿蔵の研究を挙げ、六臂の如意輪観音も、その第一手は中宮寺のご本尊さま同様、思惟の形であることを指摘し、必ずしも弥勒とは断定しがたいと述べている。

  (2) 第二の理由は、弥勒菩薩さまのお姿は多種多様で、二臂で半跏のお姿だけに限らないからだ。

 特に、過去に展覧会などで拝観したのだが、インドの古い弥勒菩薩像は、ウェービーヘアの美男子で、シッダールタ王子を想像させる作りになっている。

 また、東京国立博物館の図録『中宮寺 国宝 菩薩半跏像』(2005年)によると、インドや中国の古い半跏思惟像では、尊名を弥勒菩薩とする例や、悉達(しっだ)太子(まさしくシッダールタ王子!)とする例があるという。また、弥勒さまの場合は、菩薩像だけでなく、弥勒如来となったときのお姿の像も作られている。

 もちろん、造像時に半跏思惟の弥勒菩薩像が多数作られたという事実に目を背けるべきではないのだが、多種多様なお姿の弥勒さまにお会いするにつれ、二臂の半跏思惟像だからと言って、必ずしも弥勒とは限らないと考えてしまう。

  (3) 上記のように考えていたところ、3年前に、中宮寺門跡の日野西 光尊さまが講演会でおっしゃった言葉が、私が如意輪観音説をとる決め手となった。

 2005年4月に東京国立博物館で開催された光尊さまの講演会で、ご本尊は弥勒か観音かという話になったとき、光尊さまが、「それについてはよく聞かれるのですけど、私どもでは、昔から観音さまとしておまいりしてますから」とおっしゃったのだ。

 前述の東国の図録『中宮寺 国宝 菩薩半跏像』によると、鎌倉中期頃に菩薩半跏像が如意輪観音または救世観音と呼ばれ、中宮寺のご本尊であったことが記録から確かめられるという。 この3番目の理由が、私にとっては最も重要である。

 「京王電鉄さん、弘法大師さまです!」http://hiyodori-art2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-4ab0.htmlで書いたように、明らかに弘法大師さまのお姿なのにお地蔵さまとお呼びするのは問題だと思う。

 しかし、お姿から必ずしも弥勒とは断言できず、明確に弥勒とする資料も見つかっていない現状を考えると、このお像を古来より大切にお守りしてきたお寺の代表の方が観音さまだとおっしゃっているのだから、それを尊重すべきではないだろうか。この菩薩さまの大ファンである私としても、このお像を拝見して観音さまの功徳に感謝することが大切だと考える次第である。

 最後になるが、亀井勝一郎は『大和古寺風物誌』で、大阪・野中寺の菩薩像と比較しつつ中宮寺の菩薩像を称賛したうえで、「私は様々の仏像を拉し来って品さだめするなどは、実に堕落であり恐縮であると思っているが、中宮寺思惟像の無比なる所以を語ろうとしてついこんなことになってしまった」と書いており、つい口元が緩んでしまう。

 堕落した仏像ファンである私は、これからも恐縮しつつ、大好きな仏像のあれこれを語っていきたい。

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<<おまけ>>

要旨: この菩薩様のご尊名に関して、台座の高さから考察した興味深い研究を紹介する。

 上記の本文で、東京国立博物館の図録『中宮寺 国宝 菩薩半跏像』(2005年)に言及した。これは、東博の本館で、中宮寺の菩薩さまのみの展覧会が開かれた際に出版された図録である。 東博・事業部長の金子啓明氏がこの図録に寄せた論文でも、やはり、この菩薩さまの尊名について言及がなされている。 その解説がとても興味深いので、一部を紹介したい。

 金子氏はこの論文のなかで、中宮寺・ご本尊さまの台座に注目する。台座の高さを十分にとることで、この仏さまが兜率天に住んでいることを象徴しているというのである。兜率天は弥勒菩薩さまがお住まいになる場所だ。

 金子氏は東国・法隆寺宝物館にいくつかある弥勒菩薩半跏思惟像の中に、台座の下部に須弥山が描かれている作例があることに注目した。これをもって、弥勒さまが兜率天にいらっしゃることを表していると論じた。

 中宮寺のご本尊さまの台座には、(彩色が残っていないため不明ではあるが)須弥山は表現されていない。しかし、台座の丈を通常の菩薩半跏像より高くとることで、地上ではなく、兜率天に住む菩薩としての高貴さと存在感を示したものと考えられる、と金子氏は論じた。

 しかし、一方で、金子氏は、法隆寺の百済観音の光背を支える竹竿上の支柱の基部に、小さく須弥山が表現されていることも指摘している。小さな須弥山と、百済観音の背の高さとの対比により、観音の偉大さを表したと考えられるのだという。

 この論文では、中宮寺のご本尊が弥勒か観音かに関する議論はここで終わってしまう。このため、読者としては、結局どっちなのだという感じを持たざるを得ない。金子氏は台座の高さに注目することで、ご本尊が兜率天の菩薩さま=弥勒さまである可能性を暗に示唆した。そこには、他の同時期の半跏思惟像に弥勒菩薩様が多いという判断も当然あると理解する。
 しかし、それと同時に、下部の小さな須弥山をもって高貴さを表現する方法が、百済観音にも見られるのだという。

 つまりは、台座の丈を高くとることで、弥勒菩薩さまである可能性が考えられるが、同様の表現方法が百済観音にも見られるという話である。結局はよく分からないということか。

 しかし、さすがに専門家の注目する点は、私のような素人の仏像愛好家とは違う。こうした分析に接することで、仏像にお会いする楽しみも増す。

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